にっぽんの美しいこと ♯02 水に宿る心と言葉

水に溶け込む時間と心。水は、いつも何か大切なものを思い出させてくれる。

ある日の午後。海辺を歩いていると、風がそっと波を揺らしながら、潮の香りを運んできた。

水面はスポイトのように、周りの色を取り込みながら、空を何倍にも広く感じさせた。

両手を広げても足りないほど広大な海水は、ついさっきまで夕陽で鮮やかに染め上げられていたのだけれど、今では夕方と夜の境界線の中で、柔らかな装いになっていた。

この姿を眺めていると、心も不思議と穏やかなものに変わってゆく。

夏の眩さに浮き立つ気持ちも、茹だるような暑さに揺れる心も、眼前の水平線のように、なだらかにならされていくのだった。

空気を肺にたっぷり取り込んで、静かに吐き出す。

潮の満ち引きを繰り返すうちに、浅かった呼吸も、深くゆっくりとした呼吸になる……。

 

水が心を鎮めるのか、心が水に溶け込むのか。

自然と一体化する、そんなひとときは、いつも時間の感覚を曖昧にしてしまう。

けど、それがなんとも心地良かった。

 

そしてふと考えを巡らせる。

この地球の輪郭を水で満たすまでに、いったいどれほどの時が流れたのだろう。

きっと、人の想像を超えた遥か遠く、長い旅を続けてきたに違いない。

その旅の間、無数の命と出会い、縁を結んできた。

私たちも、そのひとつに過ぎないのだけれど、それでも水はこの当たり前の日常に、いつも寄り添う、なくてはならない存在だ。

それは、ただ日々の命を支えるためだけではない。

 

そうと教えてくれたのは、日本に息づく数多の言葉たちだ。

水にまつわる豊かな言葉が、今もなお使われ続けているのは、遠い祖先たちが紡いできた軌跡がしっかりと残されているからなのだろう。

私たちの感性に語りかけるこの言葉たちは、水と人との関係を象徴しているようだ。

 

 


暮らしと共に紡がれてきた言葉たち。
四季折々の雨、川、湖、そして海、私たちの暮らしはいつも、水と共にある。  

この日本では、水の言葉や、水とつながりをもつ言葉が長い時代を経て幾重にも紡がれてきた。  

雨だけでも、100を超える呼び方があるといわれている。  

こうした多彩な表現は、きっと、この土地が生み出した水の豊かさと、それを、感じ取る日本の文化から生まれたのだろう。 

そんな水にまつわる言葉の中に「呼び水」という言葉がある。  

この言葉を初めて知ったのは、今、私の手のひらにある呼び水バームがきっかけだ。

「呼び水」とは、もともと井戸から水を汲み出すために最初に注ぐ水のことを指している。

それが転じて、何かを引き起こすきっかけとなるもの、そんな意味を持つようになった。

私は丘の上に静かに腰を下ろし、呼び水バームを指に取る。

そっと頬に伸ばすと、ぷるりとした感触が、 昼間の日差しでほてった肌の熱を拭い取るかのように、軽やかに肌の表面を滑っていく。

皮膚に触れる風はだんだんと冷たさを帯びてきた。

身体にこもった熱はゆっくりと冷めていく。

この茹だるような暑さも、やがては遠のき、次の季節が巡ってくることを思い浮かべると、途端に名残惜しい気持ちになる。

 

もうすぐ、厚手の生地の長い袖に腕を通す日がやってくるのだろう。

空は夕暮れに差し掛かり、いっそう深くしなやかな色合いに変わり始めていた。

その風景は私に秋の気配を感じさせる、まさに呼び水のようだった。

水と共に紡がれてきた美しい言葉を胸に閉じ込めて、今はただ、目の前の静かな海を見守ることにした。 



SPECIAL THANKS Written by tomei/透明愛好家  @toumeinohito